「何を見るか」ではなく「どう見るか」
先日、「広報・記録のためのデジカメ入門講座」を実施しました。
当日は講師の大向先生から、技術や考え方などピンポイントで教えていただきました(研修報告は「活動レポート」から)。この中から、私がもっとも印象に残った「アングル」の話しをご紹介します。
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“つまらない”写真しか撮影できなかった理由。それはズバリ!「適当にシャッターを押して、対象を見ていないから」。
「いやーちゃんと考えているつもりだけどなー」と思っている私や参加者たちに、先生は次のような話しをされました。
「写真を撮る時、動いてますか?」
「たちえ背景がイマイチだとしても、一歩動けばキレイな背景が現れるかもしれない。一歩前に出て撮れば、もっと迫力のある表情が撮れるかもしれない。対象が一番良く見える場所を自分で動いて“探すことが大切”なんです」。
先生いわく、その一歩をなかなか動こうとしない・探そうとしない人が多いとのこと。
さらに、上からや下から撮影してみることも教えていただきました。「見方が全然変わる。新しい発見があります」。最後に、「まず、物事に感動して、関心を持つこと。その気持ちのままレンズを向けたら、いい写真が撮れますよ」とのことです。
・・・以上の話しを聞いて、どう思われましたか? これは、「人の見方」にも当てはまると思いませんか?
私は、若者をはじめ毎日たくさんの人たちと会っています。
よほど意識しなければ、出会いのほとんどを、自分目線(視点や価値観)から見て、たくさんのことを判断してしまっているような気がします。「気が合いそう」「イイ人そう」「とっつきにくいな」など…。
動かず、「見ている」だけです。それはツマラナイ写真と同じように、「見ようとしていない」のと同じだったからでしょう。
まず関心を持って、その人が一番良く見えるところを、自分が動いて探す――。
動いたり、立ったりしゃがんだりすることって、結構面倒くさいんですよね。つい言い訳を考えて、動くのやめてしまいます。でもそれも、時間にしたらほんの一瞬のこと。その“一歩”を面倒くさがっていては、「いいところ」はいつまでも見えないのかもしれません。
「何を見るか」よりも、これからは「どう見るか」が問われるような気がしました。 (N)
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【おまけ】 窓口にあったアジサイを「色々な角度」から撮ってみました。
◎私の目線です。 後ろにゴチャゴチャ写っていて、アジサイが「フレームに入っているだけ」。ツマラナイ写真!?
◎上から撮ってみました。紫の花びらにも、微妙なグラデーションがあることを発見!美しい!
◎しゃがんで下から撮ってみました(体勢がキツイ)。小さな花たちがどんな風に咲いているのか良く分かります!そして力強い葉脈も!