”居場所” ” IBASHO ” 文化を知れば道は開ける?
久しぶりに、研修へ行ってきました!
12月の頭でしたので、大学内にはキレイなイルミネーションが施され、学生さんが写真撮影している様子も窺えました。
普段は、みなさんに講座・研修をお届けする立場ですが、進行を考えずに、他の人の考え方や
実践の話を聞くのは、また、新鮮で楽しいですね!1か月がもう15日多ければ、頼み込んで全国の現場の
見学や活動に参加させていただきたいくらい!!
この日は、いろいろな“居場所”について、実践とグローバルな研究の発表とディスカッションが行われました
ディスカッションの中でも面白かったのが、
「 “居場所”は、英語にすることができるのか?! 」という議題。
例えば “プレイス” “スペース” “○○” (3つ挙がったのに最後が出てこない・・・泣)
「どれも“場所”を示しているが、“居場所”が持つ、社会参画やアイデンティティの形成をしていく場所などの意味が含まれていないように感じる」
ということで、この日は、“ IBASHO”と表記してしまうのが良いのば?と、まとまりました。
わたしも日本ならではのニュアンスもあるので、納得。それが広まれば“子ども・若者の IBASHO問題 ”として、世界が共通認識し、
ゆくゆくは参考事例も豊富になり、青少年への関わりについて変化が起きたらおもしろい!と思ったのです。
後日・・・
“ IBASHO ”の表記について、育成センターに戻ったら面白いことになりました
あるコーディネーターさんと資料を見ながら、フォーラムについて話をした数日後。
「あれから、居場所の外国語の表記について考えていたの。
挨拶になるけど、イタリア語だったら、『Tutto a posto? (トゥット ア ポスト?) 』が、当てはまるかもしれない」
と、その同じコーディネーターさんが言うのです。
「すべて場所に収まっている」「すべてがうまくいっている」という意味で、「あるがままの自分でいられる場所」という意味も含むらしいのです。
「もしかしたら、だけどね・・・!」とコーディネーターさんは濁してましたが、言葉の裏に隠されたニュアンスでしょうか。
フォーラムでは見つからなかった”居場所”の外国表記が、イタリア好きの人に聞くと似たものが出てくるのは、辞書で調べても出てこない文化の部分を知っているからかもしれませんね。
文化を知れば新しい発見が見つかるのかもしれない!
実践者の話を聞いて、文化を知るのは異国だけではなく、国内の地域においても一緒だろうなと思いました。
みなさんの地域限定の文化ありますか?
職員:村石