評価と偶然性とのあいだには
大変ご無沙汰しています。
本ブログは、毎月スタッフが交代で書いているのですが、私の順番はもっと前だったはず。毎月「書こう」とは思ってネタを貯めていたのですが、「つい…忘れちゃって…」と絶賛言い訳中です(笑)
さて、前回に引き続き「青少年育成のおしごと」について語ってみたいと思います。
少々長いので、時間がある時にお読みください。今回は「評価」についてです。
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私たち育成センターが平成26年度に実施した事業・取り組みの「事業評価」会議が4月に行われました。
みなさんは「評価」という言葉に、どんなイメージを持たれるでしょうか。企業などではMBOなどが取り入れられ、目標管理や評価もシステム化されていますね。私たち法人の評価では、講座や研修などの事業のみならず、「部屋の貸出」や「情報の発信」など、日常に組み込まれた一つひとつの取り組みにも年間を通じた計画や目標、評価視点があります。
私は普段はと~っても優しいのですが、事業評価の時は鬼と化します。
「自己評価が甘すぎ」「はい、やり直し」「分析だけだったら誰でもできるんじゃない?結果をどう生かすのか考えなきゃダメでしょ」などなど…。ヒエー…!文字に起こすだけで恐ろしい・・・。こんな具合に、評価の視点はどこなのか、目標に沿った行動ができていたのか、客観的な評価はできているのか、担当者としての工夫や課題はどこにあるのかなど追求(追及?)し、職員によっては、何度も書き直しを命じました。
時には「上手くいかなかった」「失敗だったのかもしれない」という仕事はあります。
研修会でも「参加者が集まらなかった」ということはあります。その要因は何だったのか。上手くいかなかった要因を振り返り、分析することは担当者にとってツラい作業です。
上手くいかなかった時の振り返りで、よくやってしまうのが「私の準備不足でした」という自己反省の一言で済ましてしまうこと。今回も、この“禁断のセリフ”を言ってしまう職員はいましたが、すぐ却下。鬼上司ですから。もしかしたら、事業そのものの捉え方が間違っていたのかもしれない、他の職員に助けを求めにくい状況があったのかもしれない、または上司が怖すぎて相談できなかった(!)など、次に活かすために職場全体で掘り下げていくことが必要です。
一方、準備に時間をかけ広報活動も広く行ったのに参加者が集まらなかった、逆に、たいした準備もしていないのになぜか集まったということがあります。これらは本当に「頑張ったからしょうがない」ことや「たまたま良かっただけ」なのでしょうか。
もちろん、相手があることは偶然性に左右されることもありますが、事業評価で「たまたま集まっちゃいました」「頑張ったつもりなんですけど」と言ったら…?
私は、事業評価の大きな意味は「次に活かすこと」だと思っています。「頑張ったのに集まらなかった」のは、時期やタイミング・対象や広報の仕方など、その「頑張り方」の方向が違っていたのかもしれません。手法を見直す必要があります。反面、「たまたま集まった」ということは実はよくあることなんですよね。でも、その「たまたま」のように思えた手法が、今回は上手くマッチングしていたからこそ結果が出たわけで、そこを、「偶然」などと言う言葉を使わずに、きちんと分析できるかが、職員の力量が問われるところです。こうした作業を繰り返すことで、「偶然による結果」やその誤差を徐々に少なくしていくことができます。
「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし」とプロ野球の某・元監督は言いましたが、仕事にも当てはまることがあるかもしれません。
付け加えたいのは、本当に「頑張った」ことであれば、例え結果や成果が出なくても、必ずそこに価値が生まれるということ。頑張った過程で、自分や職場に対するリターンがあるのです。数値的な評価は低かったとしても、どんな価値が見出せたのかをしっかり見つめられる上司でありたいですね。
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さて、評価も終わりホッと一息つく間もないまま、今年度の事業が始まっています。大切なのは「次にどう活かすか」です。私はあまり鬼にならないように、しっかりと全員で取り組んでいきますので、どうぞよろしくお願いします。
また、昨年度から京都・札幌の仲間たちと行っている、子ども・若者支援専門職養成研究所の「相互評価会議」における「ユースワークの評価」について、昨年度末に発行した「YOKOHAMA EYES」にて報告しています。ぜひ、こちらもあわせてご覧いただければ幸いです。
ちなみに、このブログを書いている間のテーマソングは「空と君とのあいだ~には~♪」でした(笑)古い!
センター長 七澤淳子