【育成スタッフブログ】「居場所」について考えてみた
「まちの居場所を一言で定義することは難しい。それは明確な目的や機能を持つ場所というよりも、まちにさりげなく存在する場所であり、さまざまな人がさまざまな理由で集まってくる場所である。それはたいていの人にとって、おそらく生活に必需というものではなく、その場所を生活の中心に捉えるようなものでもない。・・・何をしに行くわけではないが、行けばいろんな人と出会い、いろんな活動に触れ、気がつけば人を迎える側として振る舞っているかもしれない。」(日本建築学会編「まちの居場所」東洋書店2010年)
これは、2019年に発刊された「居場所づくりにいま必要なこと」(柳下換・高橋寛人編著、明石書店)の中の一文です。
本書の著者のひとりである高橋寛人先生が、社会教育、フリースクール運動、臨床心理学など各学問領域の「居場所論」を整理する中で「建築学者の居場所空間」についてまとめた内容で、これまで私自身が取り組んできた「青少年の居場所づくり」の考え方を言い表していたので紹介しました。
少年犯罪や青少年の自殺など青少年に関する事件が新聞やニュースを賑わす度に「居場所」という言葉を同時に見聞きします。登校拒否や不登校の問題が顕在化した1970年代頃から「居場所」という言葉が一般化されはじめて50年近く経とうとしています。
最近では、“子ども食堂”や“高校内カフェ”、横浜では“青少年の地域活動拠点”など様々な青少年の居場所づくりが活発になっています。
私自身、2002年12月に開館した「横浜市青少年交流センター」の立ち上げ職員として青少年の居場所づくりに携わってから20年近く“居場所”という言葉と付き合っていますが、その間、「居場所の在り方」や「理想の居場所」、「居場所の意味」など居場所に関する様々な議論が交わされてきたものの「居場所とは○○です」と全ての人が同意できる定義はいまだに見つかっていません。
いろいろな立場や視点、考えでつくられる「居場所」には、それぞれの意味があり、何通りもの捉え方があることが分かります。「居場所」という言葉の持つ意味は千差万別。だから、私自身は居場所を「元気を補充できる場(時間)」と捉えています。大勢でワイワイ酒を交わす宴席も好きだし、山奥の渓流でポツンと一人で釣りをする時間も居心地が良い。両方に共通するものは「元気がもらえる」ということです。みなさんは「居場所」をどう捉えていますか?
最後に「居場所づくりにいま必要なこと」の終章で、著者の柳下先生は居場所で大事にしなくてはいけない事として「教育をする場ではなく、内発的な意識である『学び』を引き出すこと」「対話の積み重ねを保障すること」などと述べています。これは自分が居場所をどう捉えるかではなく、居場所を提供する(青少年を支援する)側として大事にしたいことです。私も「対話」と「学び」は重要なキーワードだと感じています。再度この本を読み返し「居場所」の意味することを一歩深めて考えてみたいと思います。みなさも是非「居場所づくりにいま必要なこと」を手に取って「居場所」について考えてみてはいかがでしょうか。